信貴山朝護孫子寺
日本最古の毘沙門天王霊場
信貴山の縁起
今から約千四百年前——。聖徳太子は、排仏派の物部氏との戦いに臨む折、この山に登り、毘沙門天王に必勝を祈願されました。すると寅の年、寅の月、寅の刻に毘沙門天王がお姿を現され、必勝の秘法を授けてくださいました。
戦いに勝利した聖徳太子は、自ら毘沙門天王のお像を刻み、この地にお堂を建立。「信ずべし、貴ぶべき山」として信貴山と名づけられました。これが信貴山朝護孫子寺の始まりです。
十世紀の初め、醍醐天皇が病に倒れられた際、命蓮上人が信貴山から加持祈祷を行ったところ、たちまち天皇は快癒されました。これに感謝した天皇は「朝護孫子寺」の勅号を賜り、以来、皇室をはじめ多くの人々の篤い信仰を集めてまいりました。
現在は本堂と三つの塔頭寺院(千手院・成福院・玉蔵院)で構成され、毘沙門天王の総本山として皆さまをお迎えしております。
寅と信貴山
世界一福寅
信貴山の入り口でまず目に飛び込んでくるのが、巨大な張り子の寅「世界一福寅」です。聖徳太子が毘沙門天王を感得されたのが寅の年、寅の月、寅の刻であったことから、寅は信貴山の象徴となりました。
三寅の福
十二年に一度めぐってくる寅の年、寅の月、寅の刻——聖徳太子が毘沙門天王を感得された、まさにその瞬間が重なる特別な時。この「三寅の福」は、とりわけ大きなご利益があるとされ、多くの方がご参拝にお越しになります。
本堂
聖徳太子が自ら毘沙門天王のお像を刻み、お堂を建てられたのが本堂の始まりです。幾たびもの歳月を経て、戦国時代には織田信長の兵火により焼失しましたが、豊臣秀頼の手によって再建されました。
朱塗りの欄干を持ち、山の斜面に柱を伸ばした舞台造りの建物は、創建当時の姿を今に伝えています。昭和26年に惜しくも旧本堂が焼失し、昭和33年に現在の本堂が再建されました。
舞台からの眺望
「関西日光」と呼ばれる本堂の舞台からは、大和平野を一望する素晴らしい景色が広がります。夜間(22時までライトアップ)の参拝も可能ですので、ぜひ美しい夜景もお楽しみください。
戒壇巡り
本堂の地下にある暗闇の回廊を進む「戒壇巡り」。闇の中で如意宝珠に触れると、心願が成就すると伝えられています。
二十八使者
本堂には、毘沙門天王が率いる二十八の眷属がお祀りされています。人々のさまざまな願いを叶えてくださる頼もしい守護者です。
毘沙門天王
毘沙門天王は、仏さまの世界と須弥山の北方をお守りになる四天王の筆頭です。本来は宇宙の根本仏である大日如来と同体であり、迷える私たちを救うために化身してくださっています。
「毘沙門」の名は「すべてのことを一切聞き漏らさない智慧者」を意味し、多聞天とも呼ばれます。軍神としてだけでなく、財宝福徳や仏道修行の守護神として、古くから多くの方々に信仰されてまいりました。
毘沙門天王の御姿
右手
如意宝棒
慈悲の心で悪心を祓い、善へと導いてくださいます
左手
宝塔
すべての経典が収まり、大日如来の真理の世界を象徴しています
頭
忍辱の甲
どのような逆境にあっても腹を立てず、耐え忍ぶ心の強さを表しています
胴
大悲の鎧
大いなる慈悲の力で、あらゆる悪魔をも降伏させます
足元
藍婆・毘藍婆
悪魔を足元に踏みしめ、悪を退散させるお姿です
吉祥天女と善膩師童子
信貴山の毘沙門天王は、奥さまの吉祥天女(きっしょうてんにょ)と、お子さまの善膩師童子(ぜんにしどうじ)とともに三尊でお祀りされています。家庭の円満こそが人間の幸福の第一歩であることを、お姿をもって教えてくださっています。
御真言 おん べいしらまんだや そわか
心が落ち着くまでお唱えください。とくに勝負ごとと財運福徳に強いご利益がございます。
毘沙門天王を信仰した偉人たち
境内の見どころ
信貴山朝護孫子寺の広い境内には、歴史と霊験に満ちた見どころがたくさんございます。
ゆっくりと巡りながら、信貴山の魅力をお楽しみください。
空鉢護法堂
一願成就
毘沙門天王のご眷属である八大龍王の首座・難陀龍王をお祀りするお堂です。一願成就のご利益で知られ、ひとつの願い事を心に決めてお参りすると叶えてくださると伝えられています。
国宝「信貴山縁起絵巻」の飛倉之巻には、命蓮上人が托鉢の鉢に米蔵を乗せて空を飛ばしたという霊験譚が描かれており、空鉢護法の由来となっています。
信貴山の頂上に位置し、約700メートルの山道を登ります。沿道には朱塗りの千本鳥居が並び、頂上からは河内平野と大和平野を一望する絶景が広がります。
開山堂
四国八十八ヶ所お砂踏み
享保17年(1722年)に建立されたお堂で、信貴山の開祖・聖徳太子、宗派の祖・弘法大師、中興開山の命蓮上人と歓算上人をお祀りしています。
堂内には四国八十八ヶ所のご本尊が安置され、各寺のお砂も敷かれています。お砂踏みめぐりをされることで、四国巡礼と同じ功徳をいただけます。心洗われる仏縁のひとときをお過ごしください。
また、厄除けローソクもご用意しております。白色は息災(除災招福・当病平癒・交通安全など)、黄色は増益(開運招福・学業成就・商売繁盛など)のお願い事にお使いください。
霊宝館
国宝・信貴山縁起絵巻
国宝「信貴山縁起絵巻」をはじめ、国指定重要文化財「楠木正成の兜・鎧袖」、平群町指定文化財「菊水の旌旗」など、信貴山の貴重な寺宝を展示する施設です。
国宝「信貴山縁起絵巻」
「源氏物語絵巻」「鳥獣人物戯画」「伴大納言絵詞」とならぶ日本四大絵巻のひとつです。命蓮上人が信貴山で毘沙門天王を崇め修行した奇跡の物語が、全三巻に描かれています。
上巻「飛倉之巻」
托鉢の鉢に米蔵を乗せて空を飛ばす、命蓮上人の強大な法力を描きます
中巻「延喜加持之巻」
病に倒れた醍醐天皇を、加持祈祷の力で癒す命蓮上人の活躍を描きます
下巻「尼君之巻」
姉の尼君が弟・命蓮との再会を果たし、ともに修行を続ける姿を描きます
剱鎧護法堂
当病平癒
毘沙門天王の信仰者を災厄からお守りくださる剱鎧護法童子をお祀りするお堂です。
国宝「信貴山縁起絵巻」中巻に描かれた物語では、命蓮上人の加持祈祷が満願となった日、剱鎧童子が醍醐天皇の枕元に現れ、霊感を授けると、たちまち天皇の病は癒されたと伝えられています。
この由来から、剱鎧護法は当病平癒の守り本尊として信仰されています。お堂の周りを巡る「お百度参り」をされる方も多く、「南無剱鎧護法」とお唱えしながら無病息災・病気全快をお祈りください。
信貴山城址
戦国の歴史
標高437メートルの信貴山・雄嶽を中心に、南北約700メートル、東西約550メートルにわたる城跡です。奈良県では最大級の規模を誇る中世の山城で、山頂には天守(高櫓)が建てられていたと考えられています。
戦国時代の武将・松永久秀がこの城を大改修しましたが、天正5年(1577年)に織田信長の攻撃を受け、松永氏は滅亡、城も廃城となりました。現在は「松永屋敷」の跡が残り、往時の面影をしのぶことができます。
信貴山城址保全研究会が城跡の研究や保全に取り組み、散策ルートの整備も進めています。歴史好きの方にもおすすめのスポットです。